違いが「ない」も、答えになる——『イシューからはじめよ』の「分析とは比較」に付け足したいこと

安宅和人さんの『イシューからはじめよ』に、「分析とは比較」という話が出てくる。

これはかなりしっくりきた。ただ、その先の——意味合いは「比べた結果、違いがあるかどうか」に尽きる——には、引っかかった。

違いが「ない」も、答えじゃないのか。砂糖の濃度で検算してみたことを、書いてみたい。

目次

「分析とは比較」に、しっくりきた

「分析」という言葉には、小難しいイメージがある。数字とグラフを並べて、専門的な何かをする——そんな感じ。

本書は、それをバッサリ言い切る。

分析とは比較、すなわち比べること

これは、かなりしっくりきた。比べることが分析なら、数字を使わない分析もある。AとBを並べて、どっちがどうかを見る——それだけで、もう分析になっている。

「分析の軸は『原因側』と『結果側』の掛け算で表現される」という話も、ありがたかった。今までなんとなくやっていた「これ」と「これ」の比較に、名前が付いた感じがある。

納得が続いた章だった。

ただ、そんな中で、引っかかった一文がある。

「ない」の側が、語られていない

引っかかったのは、この一文。

分析の本質は比較だと述べた。したがって分析、また分析的な思考における「意味合い」は、「比べた結果、違いがあるかどうか」に尽きる

そして本書は、この「違いがあること」の典型として、3つを挙げる。

差がある。変化がある。パターンがある。

並べてみて、気づいた。全部、「ある」。

比べた結果、違いが「あった」ときの話は、こうして丁寧に語られている。でも、比べた結果、違いが「なかった」とき——そっちの側が、語られていない。

違いがないことにも、意味はあるんじゃないか。比べて、差が出なかった。「差が出ない」と分かったこと自体が、答えになっている場面は、普通にあると思う。

とはいえ、感覚で言い合っても仕方がない。ちょうど本書の中に、検算できそうな例があった。

砂糖の濃度で、検算してみた

本書に、こんな例が出てくる。

「人が甘いと感じる砂糖濃度」について調べる必要があるとする。私たちの知覚の基本性質を考えると、この結果の出方はおそらく直線ではなくS字カーブ的な曲線になる、と予測できる。さらに、世の中一般の清涼飲料は砂糖濃度が5~10%程度に分布していることを考えると、5%までと5~10%の間で感度が大きく異なる可能性が高く、10%以上ではまた感度が低くなるだろう、という仮説が立てられる

要するに——砂糖の濃度が薄いうちは甘さを感じにくく、5〜10%のあたりで感じ方が大きく変わり、10%を超えるとまた変わらなくなる。そして世の中の清涼飲料は、5〜10%に集まっている。

この例を、逆から使ってみる。問いをこうしてみる。「なんで、世の中の清涼飲料は、砂糖濃度5〜10%のものが多いのか?」

さっきの知識で、答えが出る。

0〜5%では、甘くないと感じる人が多く、しかも甘さの差を感じにくい。つまり、砂糖を入れても入れなくても、あまり変わらない。

10%以上では、甘いと感じる人が多く、やっぱり差を感じにくい。つまり、これ以上入れても、無駄になる。

だから——5〜10%の間で調節しよう、となる。

ここで、さっきの話に戻る。この結論を支えているのは、何か。

「差を感じにくい」。つまり、違いがない、という情報。両端に「違いがない」ゾーンがあると分かったから、真ん中の「違いがある」ゾーンで勝負する、という答えが出ている。

違いが「ない」は、意味がないどころか——この検算では、結論の土台になっていた。

「ある」は、「ない」に置き換えられる

本書が挙げた3つ——差がある・変化がある・パターンがある。試しに、全部「ない」に置き換えてみる。それでも、ちゃんと意味が立つ。

差がない。たとえば、高級なスナック菓子と、コンビニブランドのスナック菓子。食べ比べて、満足度に差がなかったら——「なら、安い方でいい」と決められる。差がないと分かったから、出せる答え。

変化がない。これは、僕自身に覚えがある。前に『メタ思考トレーニング』という本を読んで、読み終わっても、自分は特に変わらなかった。でも、その「変わらなかった」を起点に考えたら、見えてきたものがあった(その話は、別の記事に書いた → 『メタ思考トレーニング』で変わらなかった僕が、見つけたもの)。変化がないことが、そのまま気づきの入り口だった。

パターンがない。人の感情——特に、怒り。同じ冗談、同じ頼み方で、昨日までは大丈夫だった。だから今日も大丈夫、のはずが——突然、爆発される。あれは、パターンが崩れたんじゃなくて、たぶん最初から、パターンなんて無かった。相手はずっと我慢していて、こっちが「昨日まで大丈夫」を規則だと思い込んでいただけ。「パターンがない」と分かっていれば、決めつけずに、その都度、相手を見るようになる。

ある、が意味を持つなら、ない、も意味を持つ。比べた結果の「なし」は、空振りじゃない。

まとめ:「ない」も、答え

分析とは、比較。比べること——この定義には、素直に納得した。

その上で、一つだけ付け足したくなった。比べた結果には、「ある」と「ない」の両方がある。そして、「ない」の側も、ちゃんと答えになる。

砂糖の検算では、両端の「違いがない」が、結論の土台だった。スナック菓子の「差がない」は、安い方でいい、という決断をくれる。読み終わって「変わらなかった」ことが、記事一本ぶんの気づきになったこともある。「パターンがない」と分かっていれば、「昨日まで大丈夫」を信じすぎずに済む。

ちなみに、この本の一文を検算するのは、これで二回目になる(一回目は、60%の完成度の話 → 『イシューからはじめよ』の「60%で回せ」が理解できなかったので、検算してみた)。

比べて、違いが出なかったとき。空振りに見えて、がっかりする。でも、「ない」と分かった——それはもう、立派な収穫やと思う。

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書籍情報

『イシューからはじめよ[改訂版]――知的生産の「シンプルな本質」』
著者:安宅和人
出版社:英治出版
発売:2024年(初版:2010年)

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