細谷功さんの『メタ思考トレーニング』を読んでみた。
「読めばメタ思考が鍛えられる」と本には書いてある。
でも、読み終わった僕の思考は、特に変わらなかった。
ただ、変わらなかったからこそ、見えてきたものがある。
本書を通じて、それを書いてみたい。
本を閉じても、いつもの自分のまま
本を閉じても、いつもの自分のまま。
思考法の本なのに、思考法としては特別得たものがない。「真似してみよう」と思った箇所もなかった。読み終わって、自分の思考の癖が変わったかと言われると、変わっていない。
ただ、収穫がゼロだったわけではない。
人から「どういうこと考えてる?」「なんでそんなこと思いつくん?」と聞かれた時に、自分の思考をどう説明するか——その言語化には役立った気がする。元々持っている思考の癖に、本書が名前をつけてくれた、という感じ。
つまり、この本は「メタ思考を鍛えたい人」と「すでにメタ思考を持っている人」では、得られるものが違う。多分、自分は後者の側。
なぜ自分が後者の側にいるのか。それを、本書を通じて考えてみたい。
「メタ思考が苦手な人」の特徴に違和感を覚えた
本書では、「メタ思考が苦手な人」の特徴として、次の6つが挙げられている。
・感情にまかせて行動する人
・思い込みが激しい(ことに気づいていない)人
・常に具体的でわかりやすいものを求める人
・(根拠のない)自信満々の人
・他人の話を聞かずに一方的に話す人
・「自分(の置かれた環境)は特別だ」という意識が強い人
そして著者は、こういうタイプの人には行動力があって、それなりの実績を上げて地位が高い人も多い、と続ける。そうなると、これらの傾向にさらに拍車がかかる、とも。
ここで、僕は違和感を覚えた。
なんとなく、「こういう人は良くない」と批判しているように聞こえる。でも、本当にそうだろうか。
実績を上げて、地位が高くなっているなら、それは別に悪いことじゃない。むしろ社会的にはうまくいっているタイプの人たち、と言える。
行動力がある人は、それを使ってトライ&エラーを繰り返す。失敗したら修正して、また挑戦する。そうやって実績を残す。
失敗の後、次の行動を変えるためには、自分の行動を一度高い視点から見る必要がある。「なぜ失敗したか」「他にどんな選択肢があったか」を、自分の行動の外側から考える。これもある意味でメタ思考と言えるのかもしれない。
行動力が低くて、失敗を恐れる人は、動く前にメタ思考を発動する。先に視点を上げて、自分の選択肢を眺める。「これをやったらどうなるか」「他にどんな手があるか」を、動く前に検討する。それで失敗の可能性を減らしておく。
行動力ある人は動いてから視点を上げ、行動力低い人は動く前に視点を上げる。どっちが良い悪いじゃない。タイミングが違うだけで、両方ともメタ思考を使っている。
本書が「メタ思考が苦手な人」と分類した人たちは、もしかしたら違うルートで広義のメタ思考に到達しているのかもしれない。
メタ思考は「鍛える」ものか、「気づく」ものか
本書のタイトルにある「トレーニング」という言葉が示すように、著者はメタ思考を「鍛える」ものとして書いている。鍛えれば、誰でも身につけられる、と。
それはその通りなのかもしれない。でも、本書を読みながら、僕には「鍛える」必要を感じる箇所がなかった。
特にそれを実感したのが、各章の演習問題。
たとえば2章の「ドローンについて調べて報告して」と言われた時のアクションを挙げる演習。問題を読んでまず頭に浮かんだのが、「そもそも何のために調べるのか」を確認する方向。著者の解説を読むと、まさにその方向が「Why型思考」として紹介されていた。
Why型思考とは、目の前の問題に取りかかる前に「そもそもなぜそれをやるのか」と問う思考。指示された内容を実行する前に、依頼の目的を確認する考え方。
1章の「顧客の気持ちになれない職業」とは?という問いに対しても、自分なりの答えが浮かんだ。解説の例の一つは「男性の産婦人科医」——性別の違いで構造的に相手の立場になれない職業として紹介されていた。
僕が浮かんだのは、性別ではなく年齢や人種、文化の違い。お年寄りの介護は若い人がやることが多いけれど、お年寄りの気持ちは正確にはわからない。教師も子どもの気持ちに完全には入れない。外国人対応の現場では、文化や常識の違いから相手の気持ちがわかりにくい。
具体例は違うけれど、「相手の立場に構造的になれない職業」という根っこの考え方は同じところを指していた。
問題に対して、自分なりの答えが解説と並行して、もしくは先に出てくる。「ああ、こういう答えを著者は用意しているんだろうな」と先回りできる。だから、演習問題そのものがあまり面白くなかった。
(なんでこの本は、わざわざ「トレーニング形式」なのか——それを考えた話は、別の記事に書いた → 『メタ思考トレーニング』に、メタ思考を向けてみた)
これは、本書のターゲットからずれていることを示している気がする。著者は「メタ思考を鍛えたい人」のために演習問題を設計している。だから、メタ思考をまだ持っていない人にとっては、いいトレーニングになる。でも、もともと持っている人にとっては、ただの「答え合わせ」になってしまう。
1章で、著者は「メタ思考のための準備」について書いていた。読みながら、僕はそこも「達成している」と感じた。準備段階を超えていた、ということになる。
つまり、本書は「メタ思考を鍛える本」として読む人と、「自分はもう持っていることに気づく本」として読む人で、得られるものが違ってくる。自分は明らかに後者の側にいた。
鍛える必要はなかった。気づいたのは、自分が普段「人と違う視点で見ている」と言われる時の「視点」が、本書で言うメタ思考そのもの、ということ。元々持っていた習慣に、本書が「メタ思考」という名前を貸してくれた。
メタ思考は凡人のための思考法——天才の真似事という本質
3章では、「バイオミミクリー」という言葉が出てくる。生物からアイデアを拝借する、という考え方のこと。
人間は知能が高くて、一見進んでいるように見える。でも実際は、動植物から色々なアイデアをもらって、新しいものを作ってきた。
この「もらってくる」という行為自体が、アナロジー思考の一部であり、メタ思考の一部でもある、と著者は説明する。
(このアナロジー思考を、使い方の面から疑った話は、別の記事に書いた → アナロジー思考は「使い方」で罠になる)
ここで、僕は少し考えてみたい。
メタ思考は、すでに存在するものから着想を得て、自分の文脈に当てはめる思考。つまり、何かを「借りる」前提の思考。
ここで「天才」と「凡人」の違いを考えたくなる。ここで言う天才とは、「多くの人が思いつかないことを思いつき、形にできる人」のこと。
天才も、実は借りている。動植物から、過去の知識から、他人の経験から。でも、その借り方のレベルが普通の人と違う。借りるソースの広さ、組み合わせの妙、借りた後の発展のさせ方——どれをとっても、桁が違う。
凡人は、それができない。普通の人が思いつくことしか思いつかない。だから、何か新しいものに辿り着くには、意識的に別のルートを通る必要がある。
そのルートが「メタ思考」、と言えるのかもしれない。
自分の視点を一段高くする。普通の人が見ている角度から離れて、別の角度から物事を見る。すでにあるもの(他人の経験、本の知識、動植物の構造)から、自分の文脈に当てはまる何かを借りてくる。
ただ、これで凡人が天才になれるわけではない——そもそも、天才にはなれない。借りるレベルの差は、簡単には埋まらない。それでも、何も借りずに同じ場所に留まるよりは、少し前に進める。
「メタ思考」という言葉は、聞くだけだとなんだか特別な能力みたいに響く。でも、これが地道で意識的な道具だとしたら——使えるかどうかが、分かれ道なのかもしれない。
「そもそも」を言う人のうざさ——サラリーマン的なメタ思考の姿
ここまでメタ思考について書いてきたけれど、もう一つ、思ったことがある。
メタ思考は、社会的にはうざがられる思考でもある。特にそれを感じるのが、Why型思考。
Why型思考は、「そもそも何のために?」「なぜそれをやるの?」と問い続ける思考。これを口に出す人は、周りからどう見えるか。
——理屈っぽくて、めんどくさい。
ただ、サラリーマンとして出世していく人には、この思考を持つ人が多い気がする。本書を読んでいる時、僕はそう感じた。
なぜそうなるのか、考えてみる。
個人事業主なら、失敗しても致命傷じゃなければ「経験」として笑える。自分の責任なので、自分の中で消化できる。相性が悪い相手なら、付き合いをやめればいい。
でも、サラリーマンは違う。失敗の影響は、会社や同僚という他人が受ける。だから、相手の記憶に悪い意味で残る。根に持たれることもある。
何年か経っても、「○○は出来る奴やけど、過去にこんなんあったで」と、ふとした時に嫌味を言ってくる人が出てくる。しかも、その人と離れられない。
だから、失敗を避けたい。でも、出世するには成果も出さないといけない。失敗を避けつつ、成果を出す——その両立に、Why型思考は効く。「そもそも何のために?」を先に確認すれば、無駄な動きを減らせる。
そういう人が、サラリーマンの世界では上がっていく。「うざい」と思われるのは、ある意味で必要な代償なのかもしれない。
そして、自分もこの「そもそも」を口にする側。本書を読みながら、自分が「うざい」と思われる側にいる可能性に気づいた。
でも、それでも問いを止められない。Why型思考を持つというのは、そういうことなのかもしれない。
(この「そもそも?」が、本書の「戦略と戦術」と繋がった話は、別の記事に書いた → 「そもそも?」と問うのは、土俵を選ぶこと)
だとしたら、本書を勧めたいのは、どんな人なのか。
では、本書を勧めたいのは誰か
本書を勧めたいのは、どんな人か。考えてみる。
1つ目は、サラリーマンとして出世したい人。失敗を避けつつ成果を出すという両立に、Why型思考は効く。「そもそも何のために?」を先に確認すれば、無駄な動きを減らせる。結果として、出世に近づく。
2つ目は、これから職を選ぶ人、もしくは選んだばかりの人。給料、内容、将来——複数の角度から自分の職を判断できる。メタ思考で「自分には何が合うか」を考えてから動けば、遠回りを減らせる。転職も次の挑戦も、選択肢に入る。
3つ目は、今、仕事をしている人。自分の仕事を一段高い視点から見ると、目的や役割が捉え直せる。これまで培ったスキルや知識を見直せば、今の場所で自分に何ができるかが見えてくる。慣れた仕事の中にも、新しい動き方や、自分にしかできない役割が見つかるかもしれない。
一方で、自分のように「すでに持っている」側の人は、別の使い方ができる。本書を「鍛える本」ではなく、「自分の思考に名前を貸してくれる本」として読むことになる。
ところで、自分が「すでに持っている側」かどうか、見分ける方法を一つ提案してみたい。
誰かが意見や提案を出した時、自分はどう反応するか。「なるほど、それ良いね」と結果だけ受け取るか、それとも「ああ、こういう思考プロセスを経たんだな」と相手の頭の中を紐解こうとするか。
後者なら、たぶんメタ思考をすでに持っている。本書は「鍛える本」ではなく、「気づく本」として読むといい。
まとめ:変わらなかったが、見えるようになった
本書を読み終えて、いつもの自分のまま、本を閉じた。
でも、何も得られなかったわけではない。本書を読み解くことで、自分の中の「思考の癖」に名前がつき、輪郭が見えてきた。
メタ思考は、すでに自分の中にあった。
その中身も——Why型思考は、普段「そもそも」と言うときに。アナロジーは、新しいものを「借りる」という形で。知らないうちにやっていた。
本書を読むまで、これらに「メタ思考」「Why型」「アナロジー」という名前があると知らなかった。名前を知ったことで、自分の思考を他人に説明できるようになった気がする。
それだけではない。自分の思考に名前がついたことで、周りの人を見る目も変わった。
「この人はメタ思考をやっている」「この人はそうじゃない」「この場面ではこういう人が向いている」——そういう見分けができるようになった。別に、相手を批判したいわけではない。ただ、相手との関わり方を、自分の中で見直せるようになった。
本を閉じても、いつもの自分のまま。
でも、自分の中にある思考の輪郭が、少しだけ見えるようになった。周りの人の輪郭も、少しだけ。
それで、十分。
関連記事
この本は、読みながら引っかかったところを、角度を変えて4本の記事にしました。気になる角度からどうぞ。
アナロジー思考は「使い方」で罠になる——『メタ思考トレーニング』を読んで
本書の核「アナロジー思考」に、3回引っかかった話。抽象化は上げるほど良いのか、論理思考と対極なのか。
賢く買ったつもりが——『メタ思考トレーニング』に学ぶ、買い物の心理
4章のビジネス事例を、買う側の心理から読んだ話。なんで人は、同じメーカーから離れられないのか。
「そもそも?」と問うのは、土俵を選ぶこと——『メタ思考トレーニング』に学ぶ戦略と戦術
2章のWhy型思考と、僕の口癖「そもそも?」が繋がった話。戦略と戦術は、スマブラで考えるとわかりやすかった。
『メタ思考トレーニング』に、メタ思考を向けてみた——著者は、なんでこの本を書いたのか
教わったメタ思考を、この本自体に向けてみた話。著者はなんでこの本を書いたのか、調べて考えた。
書籍情報
『メタ思考トレーニング 発想力が飛躍的にアップする34問』
著者:細谷功
出版社:PHP研究所(PHPビジネス新書)
発売:2016年
