『イシューからはじめよ』の「何のためにやるのか」に、うまく答えられない。
本音を言えば、仕事はお金のためだから。
それでも、この教えは捨てなくていい。レベルを落とせば、現場で使える形になる。
「何のためにやるのか」が、素直に使えない
本書の教えは、一貫している。問題を解き始める前に、イシュー——何に答えを出すべきか——を明確にしろ。取りかかってから迷うと、多くのムダが出るから。
正しいと思う。僕自身、「そもそも、何のためにやるんやろう」と考えてから動きたい側なので、この教えには乗りたい(この口癖については、前に別の本の記事で書いた → 「そもそも?」と問うのは、土俵を選ぶこと)。
ただ、現場でこれが素直に通じるかというと、難しい。「これは何のためにやるのか」と聞いても、知らんがな、で終わる場面の方が多い——その理由は、前の記事で書いた(→ 『イシューからはじめよ』が難しかったのは、頭のせいじゃなかった)。
今回は、その先の話。もう一つ根っこの問題——「何のため」に、本音で答えたらどうなるか——を確かめてから、この教えを、僕らでも使える形に落とすところまで行きたい。
本音で答えたら、「お金のため」になってしまう
「この仕事は、何のためにやるのか」。
本音で答えたら、どうなるか。たぶん、たいていの人が最初に浮かぶのは——お金のため。生活のため。
それが悪いとは、まったく思わない。働く理由として、これ以上正直なものはない。
ただ、本書の言う「何のため」は、たぶんそこじゃない。お金の話は脇に置いた、「この課題に答えを出すのは、何のためか」という話。そして、仕事の場でこの問いが出るときも、期待されているのは、お金以外の答えになっている。
ここに、無理がある気がする。一番大きい本音(お金)を除いたところで、「何のため」の意思をそろえる。それが本心からできるのは、お金の心配がない人か、究極に相手に喜んでほしい、と思える人ぐらいじゃないか。どちらも、多数派じゃない。
だから、多くの現場で「何のため」は、建前の答えしか出てこない問いになる。建前で目的を掲げても、そこに向かう力は、たぶん出ない。
じゃあ、この問いは捨てるしかないのか——そうじゃなくて、問いの方を変えればいい、と思う。
「何のため」より先に、「何を重視するか」を決めていた
正直に言うと、この問いの答えは、本から導いたものじゃない。振り返ったら、現場で先にやっていた。
大抵の仕事は、100点が取れない。何かを立てれば何かが立たない——トレードオフでできている。たとえば、時間と安全。手順を端折れば作業は早く終わるけど、その分だけ危険が増す。早くて、完璧に安全、は基本的に取れない。
だから、僕の現場では「何を重視するか」を先に決めておく。安全第一、と決めてあるなら、工程が増えて時間がかかっても、それは仕方ないで割り切る。
いつもこの考え方をしているわけじゃない。「何のため」から考えられる場面では、考えたい側だ。ただ、やること自体がもう決まっている現場の仕事では、「何のため」は決めようがない。それでも、「何を重視するか」なら決められる。
本を読み終わって気づいたのは、著者の言う「イシューを明確にしろ」は、これの視点が高い版なんやろうな、ということだった。本書には、イシューが見つからないときの対処として「変数を削る」というのが出てくる。「何のため」という一番重い変数を削って、残った「どうやるか」の中で、何を優先するかを決める——「イシューを明確にする」を、僕の現場の高さまで下ろすと、この形になる。
もう一つ、面白いことがある。本書の1章に、こんな一文がある。
詳細がまったくわからない段階で「最終的に何を伝えようとするのかを明確に表現せよ」と言われたら、きちんとものを考える人であればあるほど生理的に不愉快になるだろう。
ゴールがない状態で何かをするのは、つらい——そういうことだと思う。「生理的に」不愉快と言うのなら、なおさらだ。それなら、1から順番に考える人よりも、10、つまりゴールから逆にたどって考える人の方が、多いんじゃないか。
僕も、そっち側だ。「何を重視するか」を先に決めておくのは、ゴールを先に置いて、そこから手順をたどる、逆算のやり方。ここでも、本の教えと同じ場所に、先に立っていた。
先に決めておくと、悩まなくなる
「何を重視するか」を先に決めておくことの効き目は、決める場面より、迷う場面に出る。
現場では、判断を迫られることが何度もある。この手順、端折っていいのか。時間がないけど、確認を挟むべきか。そのたびに一から考えていたら、時間も気力も削られていく。
でも、安全第一と先に決まっていれば、迷わない。「時間はかかるけど、確認はやる」で終わり。判断は一瞬で、あとは手を動かすだけ。
これは、本書の言う「悩む」が消える、ということだと思う。本書は「悩む」と「考える」を分けている。悩むは、答えが出ない前提で考えるフリをすること。考えるは、答えが出る前提で組み立てること。基準がないまま迷うのは、答えの出ない「悩み」になる。先に決めてあれば、迷いは「どっちが基準に合うか」という、答えの出る「考える」に変わる。
著者が「イシューを明確にしろ」と言う理由は、取り組んでから迷うと多くのムダが発生するから、だった。「何を重視するか」を先に決めるだけでも、同じことが起きる。ムダが減る。視点の低い版でも、効き目はちゃんとあった。
まとめ——視点の高い教えは、レベルを落とせば使える
「何のためにやるのか」。本書の根っこにあるこの問いは、本音で答えたらお金のためになってしまう、僕らの多くには、そのままでは使いにくい。
でも、使えない教えだとは思わなかった。「何のため」を削って、「何を重視するか」に置き換える。それだけで、現場で毎日使える形になる。先に決めておけば、悩まなくなって、ムダが減る——著者がイシューの明確化で狙っている効果と、たぶん同じものが、低い視点でも手に入る。
この本は、視点の高い世界の言葉で書かれている。だから、そのまま使うのは難しい。でも、教えのレベルを自分の現場の高さまで下ろすことは、できる。下ろしても、効き目は残っていた。
「知らんがな」で終わりそうな教えほど、一段下ろしてみる価値が、あるのかもしれない。
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書籍情報
『イシューからはじめよ[改訂版]――知的生産の「シンプルな本質」』
著者:安宅和人
出版社:英治出版
発売:2024年(初版:2010年)
