『嫌われる勇気』は、不安は目的のためにつくり出されている、と言う。
面白い見方だと思った。でも、感情は腹が減るのと同じで、勝手に湧くものじゃないか。
つくっているのではなく、出すかどうかを選んでいるだけ——酒の席で、それに気づいた。
「不安をつくり出している」は面白かった。でも、そこまで言い切れるか
『嫌われる勇気』の1章に、引きこもりの人の話が出てくる。
「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」
これは面白かった。考えたこともない見方だった。それまで僕は、過去があるから今の結果がある、と思っていたので、どちらかというと青年の側に立っていた。
ただ、読み進めると、こういう一文が出てくる。
もしも「人は感情に抗えない存在である」とおっしゃるのでしたら、そこは明確に否定します。
ここで止まった。
感情というのは、そこまで自分の側にあるものだろうか。つくったり、抗ったりできるものなんだろうか。
確かめるために、感情を別のものと並べてみることにした。腹が減る、という話だ。
感情を、腹が減るのと並べてみたら
食欲や、睡眠欲。
どちらも、多少は我慢できる。腹が減っても、あと一時間だけ我慢しよう、はできる。眠くても、これを終わらせてから寝よう、はできる。
でも、限界はある。徹夜を続ければ、意志と関係なく寝落ちする。
そして、もっと大事なことがある。我慢できるのは行動の側だけで、発生そのものは止められない。腹が減るのをやめよう、と思って腹が減らなくなる人はいない。
欲求は、勝手に湧く。湧いたあとで、どうするかだけを選んでいる。
感情も、これと同じ形をしているんじゃないか——そう思って、確かめられる材料が自分にあることに気づいた。酒の席だ。
僕は普段、自分を客観視する癖がある。何かあったとき、感情より先に「今どう見えているか」が頭に浮かぶ。だから正直に言うと、自分の感情は後から作っているんじゃないかと思っていた。嬉しい場面で、嬉しい反応をするべきだと考えてから、嬉しい顔をしているような感覚がある。
ところが、酒が入ると変わる。素が出てくる、という感じだ。取り繕おう、という頭がそもそも出てこんようになる。
もし本当に後から作っているのなら、これはおかしい。酒で客観視が外れた時点で、作る係がいなくなるのだから、何も出てこないはずだ。無表情になるほうが自然だと思う。
でも、実際は逆で、出てくる。
ということは、感情はもともとあった。僕がやっていたのは、作ることではなく、出さないようにすることだった。
つまり、酒で外れているのは感情の蓋ではなく、行動の制御のほう。自分の説を、自分で否定することになった。
そして残ったのは、欲求と同じ形だ。発生は止められない。選べるのは、それを表に出すかどうかだけ。
怒りは我慢できるのに、涙は難しい
発生は止められないが、行動は選べる。そう整理すると、次の疑問が出てくる。行動の制御にも、限界はあるのか。
欲求にはあった。徹夜を続ければ、最後は意志と関係なく寝落ちする。感情はどうだろう。
自分の感覚だと、感情によって違う。
怒りは、我慢できる。腹が立っても、怒鳴らずに済ませることはできる。少なくとも今まではできてきた。ただこれは、そこまでの出来事に遭遇していないだけかもしれない。限界を試されたことがないなら、限界がないとは言えない。
一方で、泣くとか笑うとかは難しい。ある線までは堪えられるけど、越えると出る。あくびを噛み殺すのに似ている。意志が届く範囲の外に、体が直結している感じがする。
同じ「感情」でも、行動を止められる幅が違う。
ここまで来て、一つ思ったことがある。感情に乏しく見える人は、二種類いるのかもしれない。ひとつは、本当に感情の動きが小さい人。もうひとつは、制御の幅がものすごく広い人。外から見れば同じでも、中で起きていることは正反対だ。
どちらなのかは、たぶん本人にしか分からない。
まとめ——発生は選べない。選べるのは行動だけ
並べてみて分かったのは、本と全部ぶつかっているわけではない、ということだった。
人は感情に抗えない存在ではない——ここは同じだと思う。腹が立っても怒鳴らずに済ませられるし、悲しくても仕事はできる。行動は選べる。本がそう言うなら、賛成する。
違うのは、その一つ手前だ。
本は、感情そのものを目的のためにつくり出していると言う。外に出たくないから不安をつくる、と。でも僕の感覚では、不安は勝手に湧く。腹が減るのと同じで、湧かないようにはできない。
つくっているのではなく、湧いたものをどう扱うかだけを選んでいる。
この違いは小さく見えて、たぶん大きい。つくり出しているのなら、やめられるはずだから。不安をやめよう、と決めれば済む話になる。でも、実際にはそうならない。
だから僕は、発生の側までは自分の管理下にない、と思っている。
面白い見方だとは、今でも思う。ただ、そこまでは言い切れない。
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書籍情報
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』
著者:岸見一郎、古賀史健
出版社:ダイヤモンド社
発売:2013年12月
