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『嫌われる勇気』の主張は、方向としては分かる。
でも、明日からやるか、と考えるとそのままでは動けない。降りろ、捨てろ、考えるな——どれも振り切りすぎている。
中身ではなく、振り幅の問題だと思う。幅を戻せば、使える。
言っていることは分かる。でも、そのままでは実践できない
『嫌われる勇気』を読んでいて、何度か同じ引っかかり方をした。
言っていることは分かる。方向としては、たぶん正しい。なのに、じゃあ明日からやるか、と考えると手が止まる。振り切りすぎていて、そのままでは持ち出せないのだ。
そういう箇所が、いくつもあった。
この記事では、そのうち3つを挙げる。争いから降りろ。他者の期待に応えるな。「いま、ここ」を生きろ。どれも本の中心にある話で、どれも僕には、そのままでは実践できなかった。
できなかったから捨てる、という話ではない。なぜ実践できないのかを見ていくと、この本の書き方の癖が見えてくると思う。
争いから降りろ——でも、降りられない場面がある
混ぜたら危険な薬品を、同時に使おうとしている人がいたとする。
このとき、何をするか。まず止める。なんでダメなのかを伝えて、理解してもらう。それでも聞かないなら、同じ場所にいない、という選択になる。
勝つか、決別するか。どちらかの結果が要る場面だと思う。
ところが本には、これに当てはめにくい答えが出てくる。2章で、青年が「面と向かって人格攻撃されたらどうすればいいのか」と聞いたときの、哲人の答えだ。争いから降りろ、リアクションを返すな。できるのはそれだけだ、と。
これが内容によるんじゃないか、というのが引っかかりだった。
思想や好みの話——どちらが正しいとも決まらない問いに限るなら、賛成する。人それぞれ考え方が違うのだから、言い負かしても仕方がない。降りればいい。
でも、薬品の話は違う。降りたら、誰かが怪我をする。これは権力争いではないし、言い負かしたいわけでもない。結果が要る。
本の言い方には、その区別がない。だから、そのままでは持ち出せなかった。
他者の期待に応えるな——でも、なんで0か100なのか
二つ目は、承認欲求の話だ。
本には、われわれは他者の期待を満たすために生きているのではない、という一節が出てくる。
たしかにそうだと思う。
ただ、逆に、誰からも期待されないのはどうなんやろう。それはそれで、しんどい気がする。孤独と呼んでもいい状態じゃないか。
先に断っておくと、承認欲求を持ちましょう、と言いたいわけではない。かといって、否定したいわけでもない。
引っかかっているのは、そこじゃない。なんで、0か100なのか、という話だ。
自分の場合で言えば、こうなる。嫌いな人にどう思われても、正直どうでもいい。でも、好きな人には良く思われたい。相手によって、まったく違う。
これは特別なことではないと思う。むしろ当たり前のことで、たいていの人がそうなんじゃないか。もし本当に100%捨てられるものなら、みんなもっと好き勝手に生きているはずだ。
捨てるか、捨てないか。本の話はいつもその二択で進む。でも実際は、相手によって変わる。同じ自分の中に、どうでもいい相手と、良く思われたい相手が、両方いる。
「いま、ここ」を生きろ——でも、未来を考えないのは無理がある
三つ目は、5章の「いま、ここ」の話だ。
人生は線ではなく、点の連続だと本は言う。われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。だから、計画的な人生などそもそも不可能なのだ、と。
生きているのは今、というのはその通りだと思う。1秒前も1秒後も、過去か未来でしかない。手が届くのは今だけだ。
ただ、そのあとにこう続く。過去に何があったかは「いま、ここ」に関係ないし、未来がどうであるかも「いま、ここ」で考える問題ではない。
ここは、極端が過ぎると思った。
未来を一切考えないと、こういうことになる。お金はないが、腹が減った。だから盗る。過去に同じことをして捕まった人がいることも、これから捕まることも、「いま、ここ」では考えない。同じくらい振り切って読めば、そうなってしまう。
言いたいことが分からないわけではない。先のことばかり見て、今を犠牲にするな、という話だと思う。それには賛成する。
引っかかるのは、未来を「線」として扱っているところだ。計画は線だから不可能だ、と。
でも、今を点で考えるなら、未来も点で考えればいいんじゃないか。
家でも車でも家電でも、何かを買うときは、買った後のことを想像する。想像通りにならないこともあるけれど、まったくの想定外になることは、そんなにないんじゃないかな。今を生きながら、未来も考えている。
そもそも、選ぶという行為から未来は切り離せない。選ぶというのは、この先どうなるかを見て決めることだからだ。
まとめ——極端な言い方は、たぶんわざと
3つとも、同じ形をしていた。
言いたいことの方向は分かる。思想や好みの話なら、降りればいい。他者の期待を満たすために生きているのではない、というのもそうだと思う。生きているのは今、というのもその通りだ。
実践できないのは、中身が間違っているからではなく、振り幅のほうだ。降りろ、捨てろ、考えるな。やるか、やらないかでしか書かれていないから、そのままでは持ち出せない。
たぶん、これはわざとなんだろうと思う。「場合によっては降りるのもいいでしょう」と書いてあったら、たしかに何も残らない。振り切って書くから、届く。
だから僕は、幅を戻して受け取ることにした。
降りるのは、答えのない話のとき。降りたら誰かが危ない場面では、降りない。
期待に応えるかどうかは、相手を見て決める。どうでもいい相手と、良く思われたい相手が、両方いていい。
未来は、線ではなく点で考える。今を生きながら、次の一手のことは考える。
こう書き換えると、本の勢いは消える。でも、消えたぶんだけ、明日から使える。
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書籍情報
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』
著者:岸見一郎、古賀史健
出版社:ダイヤモンド社
発売:2013年12月
ここまで僕の読み方を書いてきましたが、同じ本を読んでも、違うことを思う人はいると思います。気になったら、自分で確かめてみてください。
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