『反応しない練習』の「判断は気持ちよい」が分からなかった——答えは、本の中に書いてあった

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『反応しない練習』の2章は、良し悪しを判断しない、という話だ。

その中に、僕には分からない一文があった。判断すること自体が、気持ちいいという。

分からない理由は、同じ2章の中に、本自身が書いていた。

目次

2章で引っかかった一文

2章では、「今日はついていない」「あの人は苦手、嫌い」「自分はダメな人間」——そういう判断がよぎったら、まず気づいて、手放していこう、という話が続く。

その説明の途中で、判断すること自体が気持ちいい、という話が出てくる。引っかかったのは、そこだった。

判断すると「わかった気」になれる、が分からない

本には、こう書かれている。

判断すること自体が「気持ちよい」

理由は2つあるという。「わかった気」になれること。それと、自分は正しいと思えて、承認欲が満たされること。

一つ目の「わかった気」は、結論が出せて安心できる、ということだと思う。たしかに、そういう一面はある。

でも、結論を出すまでに憶測が多ければ多いほど、考えれば考えるほど不安になると思う。「こうならば、こう」と考えるとき、「こうならば」の部分が崩れたら、その先の結論は間違いになる。

僕は、この「わかった気」があまり分からない。結論が出るまでは、「わかった」とはなれないからだ。憶測で判断することはもちろんある。でも、そういうときは、安心より不安のほうが勝つ気がする。

その気持ちよさの正体を、本自身が書いていた

分からないまま読み進めると、同じ2章に、こういう一文が出てくる。

人間というのは、一部しか見ていない──そもそも立っている場所も、見ているものもまったく違う──にもかかわらず、すべてを理解した気になって、「自分は正しい」と思い込んでいる

すべてを理解した気になる。自分は正しいと思い込む。判断が気持ちいい理由として本が挙げた2つと、同じ言葉だ。

並べると、判断の気持ちよさの正体が見えてくる。一部しか見ていないのに、全部分かった気になっている。気持ちいいのは、見えていない部分があることに気づいていないからだ。

僕が判断しても気持ちよくならないのは、たぶんここに理由がある。

見えていない部分がある、と思っていれば、判断は気持ちよくならない

道を歩いていても、そうだと思う。前は見えているけれど、後ろは見えていない。

向こうから来た人が、なぜかこっちの歩こうとしている側に寄ってくる。なんでやねん、邪魔や、と思う。でも振り返ってみたら、自分だけが右側を歩いていて、後ろに続く10人くらいは左側を歩いていた。そういうことがあるかもしれない。相手から見たら、一人だけ反対側を歩いている僕のほうが邪魔かもしれない。

探し物もそうだ。自分では目につかなかったのに、他の人が探したら一瞬で見つかる。見る場所も、視点も、人によって違う。

今見えているものがすべてではなく、自分には見えていない何かがある。そう思っているくらいがちょうどいい。それが当たり前だと思っている。

むしろ、自分では見えていない視点を見てみたい、と思う。見たうえで、それを取り入れるかどうかは、また別の話だ。

だから、判断しても「わかった気」にならない。憶測のまま判断すると不安が勝つのも、見えていない部分がある前提でいるからだと思う。

お墨付きは、正しいと言ってほしいのか、見えていないものを確かめたいのか

判断が気持ちいい理由の二つ目、承認欲の話では、こんな例が出てくる。ケンカをしたあと、友達に連絡して事情を説明し、「あなたは間違っていない」とお墨付きをもらおうとする。

よくある話だと思う。ちょっとイライラしたときや、不満があったときも、「これ、おかしくない?」と誰かに話して、同意をもらう。

本はこれを、自分は正しいと認めてもらいたい行動として書いている。でも僕には、お墨付きをもらうのは、確認のイメージがある。自分に見えていないものがないかを確かめる意味も、あると思う。

僕自身は、腹が立つことがあっても、たいていは、まあそういうもんか、とあきらめてきた。外れを引いた。仕方ない。そういうときもある。

考えてみると、このあきらめも、見えていないものがある前提だったのかもしれない。それを誰かに確かめたいとも思わず、それ以上不快な思いをしたくないから、なかったことにしようとしているのかもしれない。

このあたりは、『嫌われる勇気』と並べて書いた記事でも触れた。

『嫌われる勇気』と『反応しない練習』、続けて読んで近かったのはどっちか——0か100か、加減か

ただ、いつもあきらめるわけではない。分けている基準は、突き詰めたところでメリットがありそうか、今後に活きそうか。どうでもいいことなら、あきらめる。なんとかしないといけないことなら、人に話して、お墨付きをもらうかもしれない。そのときのお墨付きは、正しいと言ってもらうためというより、見えていないものを確かめるためだと思う。

まとめ——判断をやめるより、見えていない部分がある、と思っておく

本は、判断すると気持ちいいと言う。わかった気になれて、自分は正しいと思えるから。

でも、その気持ちよさは、一部しか見ていないのに全部分かった気になっているところから来ている。本自身が、そう書いていた。

だとすると、判断をやめようと頑張るより、見えていない部分がある、と思っておくほうが、判断に引っ張られないんじゃないか。そう思っていれば、判断しても気持ちよくならないし、「わかった気」にも「自分は正しい」にもなりにくい。

そのうえで、不快なことがあったら、突き詰める価値があるかで分ける。どうでもいいことは手放す。なんとかしないといけないことは、人に話して、見えていないものを確かめる。

2章には、判断は頭の中の妄想だから手放そう、という一文もあった。この言葉は、しっくりきた。僕は、本が向かう場所に、別の入口から入っていたのかもしれない。

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書籍情報

『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』
著者:草薙龍瞬
出版社:KADOKAWA
発売:2015年7月

ここまで僕の読み方を書いてきましたが、同じ本を読んでも、違うことを思う人はいると思います。気になったら、自分で確かめてみてください。

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